同性婚を正式な婚姻と認める国や自治体が欧米社会で増えています。
愛情という精神的な絆の強さを、結婚という形式で二人の間だけでなく、周囲・社会にも認めてもらいたい、という気持ち。
分からなくはありません。

しかし、それだけでなく、結婚形式にこだわる理由の中に、税金の控除や相続や社会福祉制度上のメリットなどを、男女間の結婚と同様に得たい、適用すべき。
そうした考えを含むことも明らかになってきています。

結婚で夫婦社会を作ると、共働きの場合は単身生活 に比べ、多くの場合収入とコスト面で経済的(なはず)です。
結婚・同居生活にメリットがあるわけです。

余裕が出れば将来の目標のために貯蓄に回すなど、 夫婦社会・家族社会をより良くするために協力します。

一方が専業主婦もしくは専業主夫として夫婦社会内で役割を分業すれば、合理的な暮らしもできます。
共働きならば、収入が2人分となり経済的な豊かさは増すのも当然。

パートタイムの仕事に出ればそれに応じた役割分担やカバーしあう努力・協力も生まれます。

一人一人が別々に暮らしているより、一緒に暮らした方が、何かと便利で合理的。
家賃、水道光熱費はもちろんのコト。
一人で作る食事よりも二人分作れば安くでき、外食が減るなど食費も抑えることができます。
夫婦揃ってグルメではムリですが。

ということで、二人とも消費意欲が盛んであれば、あるいは浪費癖がアレば、逆効果にもなりかねない。
夫婦社会での生活コストの方が収入を上回るようになってしまうと、結婚は経済的にはマイナス効果。
そういうカップル、居ないとは断言できない。

結果的に経済的になる「結婚」、そうしたいからの「結婚」。
どちらもあり、です。

華々しく行う結婚式や披露宴が経済的合理性を持つかどうかは、ご祝儀の多少によるかもしれません。
結婚による夫婦社会形成は、経済的にプラスに働くモノ、コトになることは一般的には確かですね。

経済的な面で何の心配もない結婚では、やはり精神的な合理性?の方が強いと言えるでしょうか。
それとも経済的に心配がないこと自体が結婚に安心感を与え、結婚を促す。
そういう結婚も当然、あります。

時間の使い方では、二人の生活で時間を節約できる部分と、反対に増えてしまう場合とがあります。
合理・非合理、どちらかと、決めれられないかもしれません。

一方、精神的な側面での合理性?を認めておく必要があるのは当然です。
精神的な合理性とは心・気持ちの安心感・安寧、 安定感を意味します。
癒し、安らぎです。

夫婦という社会を形成することで得られる、精神的な効果と経済的効果。
こうした点にも、結婚には、経済性、合理性があります。

(2012年12月 投稿記事、転載)

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日本では、嫡出子・非嫡出子の問題が大きく、未婚の母が欧米に比べて少ないことが指摘されています。

ということは、結婚手続きを取らずに同棲しているカップルが、結婚しないまま子どもを産むことが非常に少ないということ。

そういう環境・事情で生まれた母子を社会として支える制度が不十分な日本。
そう言えます。

同棲という行動そのものは、経済的なコストの低減・節約に有効であることで、選択されるのは、理解・納得できることですね。
その延長・発展として結婚があるならば、同棲生活の経済的合理性と精神的な合理性、両方が確認できた結果・成果と言えるでしょう。

カップルが結婚という形式を取る前に、相手との相性や価値観、ライフスタイルなどをある程度知っておくために、同棲、半同棲、二人の住まいの相互訪問とステイなどの機会を持つ。
それにより、相性に加え、経済的合理性も確認しておくのが良いのではと私は思っています。

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性の問題をブログで論じるのはなかなか難しいですね。
一般論として考えるのもある意味つまらないですし、自分の考えをストレートに表現するのもためらわれる。

そこそこ当たり障りなく。
そんな感じになってしまいますが。

「愛」の結晶としての、あるいはできちゃって、の「子」の誕生。
「セックス」ありきのコトです。

「結婚」と「セックス」。

セックスは「結婚」という手続きを踏むことや婚姻状態において、重要な意味を持っていると思います。

もちろん個人個人のセックスに対する意識や行動は異なり、こうあるべき、これが普通と言うことはできません。
まさに、プライバシーの世界の話。

結婚前、結婚後、子どもができてから、その成長プロセス、自身の年齢や健康、同居者、住居・住宅状況などの変化や要因によって、夫婦のセックスに対する意識や行動の変化がみられるのは当然です。

セックスレスでも夫婦関係は維持されますし、 そのことに問題はない夫婦の形もあります。
老いに伴ってそうなっていくのも自然です。

しかしセックスは夫婦であることの精神的な喜びと、肉体的な快感・喜び双方を満たす要素があることも事実です。

場合によっては反対に、快感・喜びではなく、苦痛や嫌悪をもたらすこともありえます。

個人差。
これはどうしようもないことで、結婚が継続しない原因にもなりえます。
結婚を望まない、したくない原因の一つにもなります。

セックスの有無、多少、好き嫌いなどについて相性が合い、お互いの性向を理解し、認めあえることが望ましいのですが。

この種のリスクは、セックスだけでなく、趣味趣向、 性癖・癖などについてもありえます。
できればそれらを事前に把握・理解しておいた方がいいのですが。

結婚して初めて知った、分かった。
あるいは、ずいぶん時間を経て後に分かった、という場合もあるでしょう。
結婚後、お互い我慢している場合もあるでしょうし、 長く連れ添って暮らしているうちに、関心や依存度が薄れていくこともあります。
もちろん、より深まることも。
反対に、苦痛の方が増していくことも。

子どもの出産を機に、変化していく。
そういうこともよく見聞きしますね。

ライフスタイル同様、セックスも夫婦の組み合わせの数だけの異なるあり方。
どうあるべきと決めることは当然できませんし、必要もありません。

それぞれの夫婦にとって望ましい在り方であるといいわけですね。
双方が、長く性欲を持ち、性の楽しみを感じることができる方が良いかとは思います。
また、友達夫婦のような関係、ある程度老いの心境に入れば、達観した心静かな関係も良いかと。

ところで、肉食系女子と草食系男子と呼ばれた時代の男女関係と男女差。
その時代・状況は、感覚的には続いているとは思うのですが、実際はどうなのでしょうか。

(2012年12月 投稿記事、転載)

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結婚における、あるいは夫婦における「性愛(セックス)」が占める重要性の度合い。

こうあるべき、これが標準、これが一般的。
議論することはあまり意味がないことかもしれません。
その夫婦間だけの問題であり、他がとやかくいうものではない。

確かにそうですが、当事者間においては、いろいろ問題があったり、悩みがあったり。
人に言えぬ、相談しづらい問題です。

相性や考え方が理解できた上で結婚すれば、将来発生しうるリスクを多少は回避できるでしょう。
しかし、結婚後本性が分かった、出てきたということ、結婚生活・夫婦生活の中で変化していく、ということも当然ありうるわけです。

また、子どもをつくるための手段としてのモノ、コトと、性愛を確かめる、感じあうためのモノ、コト、あるいは動物の本能的な行動としてのモノ、コトの面もあるセックス。

そしてそれらがもたらす、精神的な情愛が深まる、確かめ合う要素。
単純かつ複雑な人間の社会的行動としての結婚とその中でのそれ。

願うのは、幸福感、とだけ表現すればいいのかもしれません。

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まだまだ、シリーズは続きます。
次のページから後半に入り、第12回と第13回です。

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