「結婚」し「子ども」を持ち「家庭」を築くという人の営みが、生き方の一つの選択肢に過ぎなくなる。
既に、そうなっている。
当然の権利として。

高学歴化は一面では「理性」の在り方の変化を もたらします。
生き方の多様化は「理性」の行動化や価値観の多様化の表れでもあります。

「理性」が、結婚や出産や家族形成という生き方、ライフステージのあり方を選択する。
そうありたい、そうあって頂きたいと私は思います。
本能だけではなく、感覚だけでもなく、当然無感覚ではなく。

一応「結婚したい」と思っている人は多いが、 行動に移す比率が低い。

出会いが少ないから、これと思う人がいないから。
不安や面倒さの方が強いから。

それも、何かと天秤にかけて、ある意味、理性がネガティブな行動にとどまらせている表れかもしれ ません。

ならば、もっとシンプルに「好きだから」行動する。
「魅かれるから」行動する。
もっと直感や本能に任せる。

理性でなく、「感性」を活かす、「感性」を信じる!
そういう生き方も良いのではと思います。

結婚や育児を束縛と捉えるか、一つの価値・喜びと考え、感じることができるか。

結婚し、育児もするが、自分の個としての願い・思いも実現する。  
家族・家庭の成長と生活の中でいくつもの願いも実現する。

結婚と夫婦生活・家庭生活は「理性」と「感性」 との組み合わせで成り立ち、進められていく。
(小難しい言い方で申し訳ありせん)

そんな生き方を、20代30代の方々が柔軟に、しなやかに、優しく、強く創り上げていって頂きたいと思っています。

この世代の方々の「感性」は、私たち世代にはないもの。

その「感性」に、高学歴化と経済社会の中で得た 「理性」と、少しの「合理性」も織り交ぜ、融合する。
皆さんなりの「結婚」「家族」「家庭」のステージを創り上げて頂きたいと願っています。

※2012-12-08 投稿記事の転載です。

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「非婚」も生き方の選択肢の一つ。

あの重鎮・上野千鶴子さんと、今売り出し中の水無田気流さんとの対談書
非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる』では、そのサブタイトルに、「結婚リスク時代」とあります。
上野さんからみると、理性による結婚があるならば、その理性そのものを疑われそうですが。

ある意味、非婚も「理性」のなす判断・選択の一つでもあるので、並立は可能であり、対等でもあります。

お二人の対話の中に、「確信犯シングル」と「なし崩しシングル」という表現が出てきます。
前者などは、「理性型」非婚の象徴みたいなものです。

同書を参考にした議論も、今後展開していきますが、ダイバーシティという言葉。それがまさに多様と表現されるだけに、その多様性が、極大化したレベルで用いられると議論はとめどもなく広がって、収拾がつかなくなってしまい
そうです。

正直なところ、男と女、という両性だけの分類が、多様性の核となるユニット、原点と思うのです。
しかし、結婚、非婚という行動面で捉えるだけでも、ああでもないこうでもない、となり、最後には、生き方を選ぶことができる権利問題に戻ってしまいます。

まあ、どちらにしても、流されての人生も、しっかり意志をもっての人生もありで、それぞれ幸せな人生であれば、と思っています。

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一応、40年以上前に家族社会学をかじっていたこともあって、結婚と夫婦・家族形成という、ライフステージの一つに関心を持っています。

私たちの時代のひと昔、ふた昔前。
家父長制、「家」制度と、私たちが育った民主主義時代の新しい家族のあり方の比較。
これがベースで、多少は、キブツなど海外の独自の慣習としての結婚と家族制度も見ながらこれからの家族・結婚を考える。

もちろん、男女同権を基本としての夫婦のあり方やジェンダーを意識した視点があったのですが、生涯未婚や非婚が当たり前の今からみれば隔世の感があります。

私たち団塊世代が子どもの時の両親との関係と、私たちが親で、その団塊ジュニアである子どもとの関係。
やはり根本的に違うと思いますが、明治・大正生まれだった私の父母も現代に通じる親子のあり方・考え方を一部、持っていたように感じます。

未婚率の上昇、親元で暮らす子どもの結婚に対する関心の低さや子との同居の安心感などが関係しているのではと思います。

三食・洗濯、身の回り世話付きの物理的・精神的・ 経済的・合理的快適ライフのお陰。

(成人している)子が、食費や家賃替わりに収入の一部を家に収めている、という話もたまには聞きますが。

そういう場合でも、親は結婚資金や本人に何があった時の為、と手を付けずに貯金をしている、とか。

こういう「楽な」、「居心地のいい」暮らし にどっぷりつかってしまうと、とても「結婚」 という「リスク?」を犯すことなど考えられない。
面倒なことなどやりたくない、このままがいい。

居住権?や心細さを紛らわすことに役に立っていることを盾に、結構威張っていたり、わがままが通用したりもする。

気を遣わなくてもいい親子関係。
親が子に気を遣っているカタチでの同居もあり。

「いい相手に恵まれればいいけど」、 「私(たち)とうまくやっていける相手ならばいいけど」と親。
そういう相手はなかなかいないんじゃない?

行き着くところ「何もムリに(?)結婚しなく てもいいんじゃない」などと。

良いのか悪いのか分かりません。

でもその状態が長く続くと、いずれ子が親の面倒を看なければならない逆の状況になってしまいます。
独身の中年の子?が、老齢の親の面倒を看る。
現実に当たり前のように増えてきています。

甘い親と同居独身の子との関係は、安心で気楽な関係ですが、長い人生とライフステージを考える時、 果たしてそれで良いものかどうか。

やはり願わくば、まずは一度、子が親から離れて 自立した家族・家庭を築き、そうした状況の中で相互に協力し、支え合う関係が良いのではと思います。

※2012-12-09投稿記事の転載です。

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私たち団塊世代と団塊ジュニアとの親子関係から、甘い関係が量的に、質的に広がり、高まってきたのでは。
そう感じる節があります。

私の家族は、どちらかというとドライな関係と、そこそこ繋がっている感覚、両面あります。
3人の息子は、高校卒業後、家から出、一応結婚し、子どもをもうけ、私たち夫婦とは離れて生活しています。

でも、同世代のご近所や知人家族で、子どもが比較的近くに住む場合は、特に娘の場合、かなりその子ども家族に振り回されている。
また生涯独身でいるのかな、と思われるような親子同居家庭も多々見られます。

恐らく私たちよりも下の世代・年齢になるともっとそうした状況が広がっているのでしょうね。

当面
「婚活」症候群』(山田 昌弘 白河 桃子共著・ディスカヴァー携書:2013/7/21刊)
『非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる』
恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚 』(牛窪恵著・ディスカヴァー携書:2015/9/26刊)
この3冊を参考にしながら、今の時代の結婚と、これからの時代の結婚を考えていきます。

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ゴールが見えてきました。
次は、18回、19回です。

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