家族規模縮小の本質とは?「性別役割分業の衰退」と「家族機能の外部化」論への異議

結婚

日経が【やさしい経済学】欄で、2025年6月19日から7月1日まで、9回シリーズで連載した古村聖(みづき)関西学院大学准教授に拠る「変わる家族のあり方」。
前回は、初めの2記事を紹介し、以下の記事を投稿しました。
⇒ 変わる家族のかたちと経済学の視点|家族規模の縮小と「個人化」する家族関係を読み解く – 結婚家族.com

今回は、以下の3回目と4回目の小論を要約し、考えるところをメモします。
3.変わる家族のあり方(3)性別役割分業の衰退 – 日本経済新聞 (2025/6/23)
4.変わる家族のあり方(4)市場や国家による役割の代替 – 日本経済新聞 (2025/6/24)
なお、前回は、生成AIのChatGPTとGemini両方の要約を用いましたが、今回からは、Geminiのみを紹介して、進めます。

本記事には、広告が挿入されることがあります。

家族規模に影響しうる要因をテーマとした、3回目と4回目の小論。
3回目では、女性の社会進出に伴う時間配分の変化や、性別役割分業の衰退を取り上げています。
4回目は、家事労働や子どもの教育、高齢者の介護等、家族が担ってきた役割の一部を、市場や国家など家庭外の主体が代替することについて述べています。

前回記事では、変わる家族のあり方の象徴的な傾向として、「家族規模の縮小と個人化する」家族関係を確認しました。
いわゆる「核家族化」というある意味、使い古された感さえある、家族規模の縮小の現実。
それが、当然、構成する家族においても「個人」としてのあり方に焦点が当てられるようになっている。
その状況を深掘りする意味合いも、今回の小論にはありそうです。


以下、順に見ていきます。
まず、
変わる家族のあり方(3)性別役割分業の衰退 – 日本経済新聞
から。

変わる家族のあり方(3)性別役割分業の衰退】から

まず、Geminiに依頼した小論の要約を。

1)女性を取り巻く環境の変化

戦後、女性の教育水準と労働参加率は著しく向上しました。
大学進学率に象徴される男女間の教育格差の縮小や、法改正、労働環境の改善により、女性の就業機会と賃金水準は長期的に向上しています。

2)性別役割分業の持続困難化

「男性が稼ぎ、女性が家事・育児・介護を担う」という戦後型の性別役割分業モデルは、経済的ショックや雇用形態の変化により持続が困難になっています。
単独の収入で家計を支えることが現実的でなくなり、人々の意識も変化。コロナ禍での在宅勤務普及が男性の家事分担を促すなど、意識面でも伝統的な役割分業は衰退しつつあります。

3)「特化のメリット」の減少

経済学では、家族の結びつきの一つとして、それぞれが得意な分野に特化することで全体の効率を最大化する「特化のメリット」が挙げられます。
かつては男女の賃金格差や役割分担が明確だったため、このメリットは大きかったですが、女性の社会進出や男性の家事参加により、家庭内での特化のメリットは相対的に小さくなっています。この効果の弱まりは、結婚や親との同居といった家族規模の縮小につながると考えられます。

紙数・文字数に制限がある小論でやむを得ないですが、この内容では、非常に物足りません。
深掘りどころか、「性別役割分業」の要因説明としては、浅すぎます。

また「特化のメリット」という表現・用語が、家父長制時代や昭和の時代の夫婦や家族のあり方の特徴を説明する上で、適切なものとは思えません。
そこまでの経済合理性に基づく評価・判断に基づく「性別役割分業」であったはずなどないからです。
この辺りは、残念ですが、新しい経済学者の、新しい用語への思い入れのような気がしてしまいます。
「法改正や労働環境の変化により、女性の就業機会と賃金水準は長期的に改善している。」と提示する筆者。
そうした一部の女性が家族の一員である場合は「特化のメリット」云々や「性別役割分業」がどうこういう次元の話ではないでしょう。
時間の経済性と所得の利用・処分の裁量度の拡張を要因としての行動判断の結果といえるのですから。
従い、「特化のメリット」説を家族規模の縮小の要因とする根拠は薄いと考えます。
現役世代の子どもと高齢の親との同居関係における事情・状況に「特化のメリット」を適用しているのも、単純に言葉の遊びの領域に過ぎないのではとも。

それよりも、経済学としては、雇用形態の多様化、中でも非正規雇用市場への女性参加度の急激かつ広範な進行とその条件下における低賃金層の拡大を深掘りすべきです。
共働き夫婦における「性別役割分業」問題。現実の家族・夫婦生活を考えれば、単純にその観念に固執すれば、家族関係が破綻するリスクが高まることは明らかです。
不安定な家族・夫婦関係では、家族規模が抑えられることも当然です。
一方、夫婦共働き夫婦及び世帯が、望む子どもの数を実現できるかどうか。
そこでは、子育て支援制度が最重要政策課題となりますが、すべての世帯が被用者世帯というわけではなく、一律にそこに焦点を集中させることにはムリがあります。
単純に結論付ければ、夫婦共働き家族における就労者の可処分家庭内時間が減少し、自ずと出産・育児に費やす自由度も大幅に制限されます。
家族規模の縮小は、必然です。

これは、特に説明する必要もないことと考えています。
自分で稼ぎ、仕事にやりがいを感じ、稼いだお金を自分が使いたいように使う。
可処分時間と可処分所得を得た人間は、その心地よさと自由度には、ハマります。
その機会と場を、大都市に求める気持ちも当然のこと。
しかし、物価が高い大都市では、より高い収入も必要になり、より稼ぐ必要も生じ、と家族・家庭形成への欲求を低減させる効果もあるでしょう。
魅力と映る要素・要因は、希望・欲望そして夢と結びついて、心身に浸透していきます。
家族規模がどうこうどころか、家族形成・夫婦形成をも気持ちから薄れさせる、心理と経済など多様な要素・要因が、日常化しています。

では、次の小論
変わる家族のあり方(4)市場や国家による役割の代替 – 日本経済新聞
に進みましょう。


変わる家族のあり方(4)市場や国家による役割の代替】から

同じように、この小論を、Geminiに要約してもらいました。

1)家族機能の外部化

この数十年間で、家事労働、子どもの教育、高齢者介護など、かつて家族が担っていた役割の一部は、市場や国家といった家庭外部の主体によって代替されるようになりました。
これにより、家族内での時間配分における「特化のメリット」の必要性が薄れています。

2)家事労働の市場化と技術進歩の影響

電化製品の普及による家事労働時間の削減や、外食産業、家事代行サービスの利用拡大が進んでいます。
政策研究大学院大学の北尾早霧教授らの研究によれば、家庭用耐久財の価格低下がなければ、既婚女性の家事時間は大幅に増加していたと推計されており、技術進歩が家事の外部化を後押ししています。

3)育児・介護の市場・国家代替

子育てにおいては、保育所の整備が核家族世帯の女性の就労を促進し、大卒女性の出産を促す効果も確認されています。
介護においても、介護保険制度の普及などにより、公的制度やサービスによる代替が進み、家族の機能が外部に移行しています。

4)家族の経済的機能の希薄化

これらの変化は、かつて女性に偏っていた家事・育児・介護といったケア労働の時間コストが上昇し、市場サービスが相対的に安価になったことを示唆しています。
家事やケアの市場化は現役世代の就業を後押しした一方で、家族内での特化によるメリットを弱め、結果として結婚や家族の経済的機能がより希薄になったと考えられます。

「女性に偏っていた家事、育児・介護ケア等においてそれらの市場サービスの方が相対的に安価に。それが現役世代の就業を後押しした一方、家族内での特化によるメリットは弱まり、結婚や家族の経済的機能は一層希薄化した。」
これがこの小論の結論と言えます。
とんでもない錯誤と言えます。
そもそも経済学が好んで用いる「市場」という用語。
「市場」という用語は、学者を酔わせるのでしょうか。
市場と国家は、ここではどういう位置関係で用いられているのでしょうか。

この論では、育児や介護も元来、個人及びその家族が担うもの、としているのですね。
その役割を市場や国家が「代替」する、というのです。
教育や保育は、元来、義務化されるか公的・公共サービスの性質をもつもの。
介護も、根本的には、それと同次元で制度化されたものと言えるのではと思います。
その公的・公共サービス事業を、規模や効率性などから一部を本来「民間」というべき「市場」に委ねることもある。これが本来のあり方でしょう。

そもそも、市場や国家・行政が提供してきた公的サービスには、お金がかかり、生計が成り立たなくなった。
そのため働く必要が生じた。
こういう事情の人が多かったはずです。

また現在の介護等のサービスでも、その費用を捻出するため、働く必要がある。
こういう事情を持つ人も多いはず。
小論の主張は、一面的であり、全面的に支持・賛同できるものではありません。
若い研究者の視点は、こんなものなのでしょうか。

あまり本論中で意義のあることとは思いませんが、家事労働の市場化や家事自体の簡便化・省力化効果が家族規模の縮小に、どの程度影響を与え、成果をもたらしているのか。
その程度や具体的な要素・要因を具体的に証明できる分析も、確かなものがあるとは思えません。

ここまで見てきたように、今回の2つの小論共に、視点の錯誤や偏りがあると言わざるをえません。
前回記事で、従来型の学者・研究者とは違う、新しい視点やアプローチ、提案を展開してくれることを期待している旨書きました。
しかし、どうも意に反した方向に向いているような気がしています。

経済学視点での家族規模縮小化と家族要素における「個人化」。
その主要因を、女性の稼得行動の拡張や国や民間が担うケアサービスの拡充、形成する世帯の経済的な余裕・ゆとりがもたらす外部サービスの利用度の拡張という面にフォーカスする。
それらは、家族のライフスタイルの多様化や選択肢の多様化に十分寄与しているのは確かです。
しかし、それが家族規模の縮小に直結するとするには、どうでしょうか。疑問です。

灯台下暗し。
一般論として、結婚できない、子どもを持てない一番の理由が、現状と将来における経済的な不安。
それが、家族規模縮小の第一の事情である少子化社会の根本要因。
そこから、単身高齢世帯の増加や、中年独身の子と老齢親との同居世帯など、高齢化社会がもたらす家族構成事情。
まず簡潔にその提示を行ってから、新しい視点での家族規模縮小の要因を示して欲しい。
のですが。

ここまで考えてきて、もしかしたら私の小論の理解の仕方がまったく間違っているのかと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか。
その自己評価・自己分析は、次回の2つの小論で、成否を決めることになるのでは。
次は、子どもに焦点を当てた2つの以下の記事を取り上げるからです。
そう思って、本稿を終えたいと思います。
5.変わる家族のあり方(5)子どもが持つ経済的な側面 – 日本経済新聞 (2025/6/25)
6.変わる家族のあり方(6)子どもを巡る夫婦の意識のズレ – 日本経済新聞 (2025/6/26)灯台下暗し

なお、当該の日経記事へのリンクを貼っていますが、同紙の電子版は有料読者だけがアクセス可能であることをご了承ください。

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