【最終考察】家族の変容と社会政策の現在:日経「変わる家族のあり方」全9回から導く現代家族の課題

結婚

規模・機能縮小家族をめぐる政策設計のあり方|日経「やさしい経済学:変わる家族のあり方」シリーズからー5(総括)

古村聖(みづき)関西学院大学准教授による、日経【やさしい経済学】欄「変わる家族のあり方」小論シリーズ。
連載された9つの小論を2つずつ取り上げ、ここまで以下の記事を投稿してきました。
第1回:変わる家族のかたちと経済学の視点|家族規模の縮小と「個人化」する家族関係を読み解く – 結婚家族.com
第2回:家族規模縮小の本質とは?「性別役割分業の衰退」と「家族機能の外部化」論への異議 – 結婚家族.com
第3回:少子化を巡る経済学の「ムリ筋」:子どもの便益・費用論と家族の変容を問う – 結婚家族.com
第4回:家族の保険機能は崩壊するのか?親の介護と単身世帯の増加に見る家族の変容と社会の課題 – 結婚家族.com

本記事には、広告が挿入されることがあります。

日経新聞「やさしい経済学」の連載『変わる家族のあり方』を深掘りする本シリーズも、いよいよ最終回です。

これまで私たちは、家族規模の縮小から始まり、性別役割分業の衰退、家族機能の外部化、そして少子化における「子どもの便益と費用」といった経済学的な論点に対し、時に「ムリ筋」とも言えるその限界と、人間的・社会的な側面からのギャップを鋭く問いかけてきました。
前回の記事では、親の介護問題や高齢単身世帯の急増が、現代社会において家族が持つとされる「保険機能」の崩壊を示唆しているのではないか、という切実な問題意識を確認しました。

そして今回、この連載の最終回となる小論「政策設計への示唆と課題」を読み解きます。
経済学が、家族の変容する実態をどこまで捉え、その上でどのような政策提言を行っているのか、あるいはこれから行っていくのか。そして、どこにその課題や限界があるのか。

家族の多様化が進み、もはや「平均的な家族」を前提とした政策が機能しなくなった現代。
社会の根幹を支える家族の課題に、私たちはどのように向き合い、どのような未来を描くべきなのか。
経済学が提示する「クラウディングアウト問題」「家族の異質性」「ターゲティングの難しさ」といった課題を深掘りしつつ、真に包括的で実効性のある政策設計のあり方について、これまでの議論の総括として考察を締めくくりたいと思います。

変わる家族のあり方(9)政策設計への示唆と課題】から

この最終小論では、家族の機能縮小と多様化が進む現代において、家族政策の設計がいかに複雑で困難な課題であるかを、経済学的な視点から3つの主要な問題点を挙げて論じています。
これまで同様、その内容を、生成AI、Geminiに要約してもらいました。

1)クラウディングアウト問題

政府が育児や介護などの家族支援政策を強化すると、かえって人々が自ら育児や介護を担うことを控え家族機能の縮小を加速させる可能性があると指摘されています。
これは、公共支出の増加が民間投資を減少させる一般の「クラウディングアウト」現象を家族に当てはめたものであり、政策設計時にはこの逆効果を考慮する必要があるとしています。

2)家族の異質性の問題

家族形態が多様化することで、家族を対象とする政策は、個人を対象とする再分配政策よりもはるかに大きな異質性(多様性)に直面すると述べています。多様な家族形態の存在は選択肢を増やす点で歓迎される一方、「平均的な家族」を想定した既存の公共サービスでは、その多様性からこぼれ落ちるケースが増加し、政策が届かない層が生じかねないと警鐘を鳴らしています。

3)ターゲティングの難しさ

新しい家族経済学が一人ひとりに焦点を当てることで、政策の「ターゲティングの難しさ」が浮き彫りになると指摘されています。
多くの政策は世帯単位で設計されており、その先の家族内、特に夫婦間での力関係の偏りや、育児支援の補助金が実際に子どものために使われているかといった、家族内の個人への直接的な政策実施には限界があることを示唆しています。

まとめと今後の課題

小論は、家族政策においても税政策と同様に「公平・中立・簡素」のバランスが重要であるとし、経済学の示唆は大きいものの、現在の経済学的視点だけでは万能ではないと結論付けています。
この点を看過すれば、政策が予期せぬ結果を引き起こす可能性があると強調。
家族の機能や政策に関する知見はまだ不十分であり、今後も多くの研究者が家族を対象とした研究に取り組むことの重要性を訴え、締めくくっています。

政策内容を扱わず、家族経済学の政策化及びそのための研究に関する現在地、現在の課題を提起・確認するにとどまった小論でした。
期待外れでもあり、ここまでの小論のスタイルと姿勢を考えれば、想定内のこととも言えます。
なにより、「政策設計への示唆と課題」という本小論テーマ自体に、その意図・意味が表されています。

「家族の個人化」で確立されたという新たな家族経済学のフレームワーク
そこでの家計データの利用と統計分析の進展により、家族に関する政策設計や社会保障制度の見直しを促す契機となった。こう最初の小論で示したはず。
⇒ 変わる家族のかたちと経済学の視点|家族規模の縮小と「個人化」する家族関係を読み解く – 結婚家族.com
このように家計

実は、クラウディングアウトについて、本稿シリーズの2回目で、既「育児・介護事業サービスの市場・国家代替」の機能として一度説明しています。なぜかこの時には「クラウディングアウト」という用語・表現を使っていません。
⇒ 家族規模縮小の本質とは?「性別役割分業の衰退」と「家族機能の外部化」論への異議 – 結婚家族.com

そしてなによりも、「自ら育児や介護を担うことを控え家族機能の縮小を加速させる可能性がある」とクラウディングアウトをリスクとして捉えているのです。
家族機能を縮小させないためには、公的な支出を抑制すべきだと。
このトレードオフの考え方は、子どもを持つことのベネフィットとコスト論と同列のもので、一体家族経済学が目指すのは、何か、どこなのか問題を曖昧にし、先送りにするものです。
実際の小論内容は、家族規模の縮小を抑止しつつ、個人の負担は維持するか、拡張するかという政策を示唆しているのですが。
この主張・議論は、アウトです。

また、面白おかしく読んだのが、家族経済学において政策設定のためのターゲティングが難しい、としていること。
学者自らの発言としては、信じられません。
隣接する経営学で「ターゲティング」を学べばよいのに、と思わず反応してしまいました。
その言い訳が、世帯単位から個人単位に、政策を変革する必要があるからというのです。
「限界がある家族内の個人への直接的な政策実施」という問題の解を研究し、提案・提言することこそが経済学の役割・責任と思うのですが、早々に白旗を挙げられては論外です。

今回の小論の骨格として、家族規模の縮小に焦点を当てていました。
当然それは、最終小論にあるように、従来の世帯単位を前提とした制度設計の限界・問題点を強く認識し、個々人や個々の家族及び世帯に着目すべきことを主張することに力点を置いたものです。
その程度の結論を導き出すための小論とすれば、非常に残念なものだったと思います。
読者に『やさしい経済学」を示すのではなく、自身に優しい、イージーな小論集に終わってしまったのです。

では、世帯単位主義から個別主義政策・制度に切り替えれば、簡単に制度設計が可能なのか。
実は、個別は、世帯と対比してのみ用いられる対象概念ではありません。
家族を対象とした政策検討における基本属性は、家族構成と世帯主及び各成員の性別(ジェンダー)・続柄・年齢、職業・所得が対象となります。
一応、家族の成員である個人個人の基本属性も、そこに含まれています。
しかし、家族規模縮小に伴い、政策対象の家族単位として、最少人数の単身世帯が占める比率が高まります。
そこに最少複数人数の2人世帯家族も、多種多様な組み合わせで、これから増え続けます。
そしてそのほとんどすべてが、単身世帯化するわけです。
基本属性自体どちらにしても同じなので、実は政策立案作業は、基本的には従来と大きくかけ離れたものではないのですが、なぜか為政者と行政が、何か一致する利害があるのか、結託して、法改正に進んで取り組もうとしないのです。
行政システム改善・改革にかかるコストと労力を惜しんでいるだけとしか考えられないのですが。

一つの視点で断言するならば、「個」という単位は、普遍的なものであり、すべての制度・政策の起点になるものなのです。
「個」を把握し、焦点を当て、これを起点にして、必要に応じて世帯や組織・グループを対象として、テーマや問題を絞って適宜政策・制度を検討していく。
発想と実務の転換は不可欠です。

小論中「現実の社会変化を捉え政策設計に貢献してきた経済学の示唆は大きい」とありました。
その例を示して欲しかったですね。
しかし、いずれにしても、家族規模と機能の縮小が必要とする家族政策の転換・立案のための方法と具体的な必要課題が、ここまで8つのテーマにおいて具体的に提示・提案されることはありませんでした。
若手の研究者ゆえに期待しているのですが、最終回の総括は、なんとも間が抜けたものに終わってしまいました。
ベテラン研究者同様に、どこか第三者的立場に終始し、当事者としての認識を欠いた、論説に終わってしまいました。
これはある意味、正直であることを示していると言えるのかもしれません。
しかし、専門領域で学生に教授する立場なのですから、これからは明確な政策提言・政策立案もできる、行っている研究者であって欲しいものです。

それでは、最後に総括を行うに当たり、はじめに、Geminiに、各小論の整理とまとめを簡単に提案してもらいました。

日経新聞「やさしい経済学」の連載『変わる家族のあり方』は、全9回の小論を通して、現代日本社会における家族の変容を経済学の視点から多角的に分析してきました。本連載を読み解く中で、私たちもその内容を深掘りし、時に経済学の限界についても考察を加えてきました。

ここで、これまでの9つの小論がそれぞれ何を問い、どのような視点を提供してきたのかを、簡潔にまとめてみましょう。

  1. 家族規模の縮小と「個人化」する家族関係 (日経小論 第1回、第2回)
    • 世帯規模の縮小、性別役割分業の衰退といったマクロな変化を提示。家族研究における経済学の新フレームワークと家計データの活用を強調。
  2. 子育ての「便益」と「費用」論 (日経小論 第3回、第4回)
    • 少子化を経済学的な「便益」と「費用」の視点から分析。しかし、親の意識や社会の変化といった、経済的合理性だけでは捉えきれない多面性があることも示唆。
  3. 家族機能の外部化と市場化 (日経小論 第5回、第6回)
    • 育児や介護といった家族機能が、市場や国家によって代替されていく現象を考察。この外部化が家族関係に与える影響や、その経済学的評価について言及。
  4. 家族の「保険機能」の変容と限界 (日経小論 第7回、第8回)
    • 親の介護における「公共財」問題や、高齢単身世帯が直面する経済的ショックとリスクを考察。家族が持つとされる「保険機能」が現代社会で弱まっている可能性を提起。
  5. 政策設計への示唆と課題 (日経小論 第9回)
    • 家族機能の縮小・多様化が進む中での政策設計の困難さ。クラウディングアウト、家族の異質性、ターゲティングの難しさという3つの経済学的課題を提示し、今後の研究の重要性を訴える。

これらの小論は、家族がもはや「平均的な形」で存在せず、機能も変化している現代において、どのような政策が必要なのかという問いを提起しています。同時に、経済学的な視点だけでは捉えきれない、より複雑な現実があることも示唆していると言えるでしょう。

では、最後に私の全体のまとめ・総括を添えたいと思います。

家族経済学の現在地と今後の課題を確認した小論シリーズだったと言えるでしょうか。
家族社会学は私自身が関心を強く持つ領域です。
しかし、少子化や結婚について経済学からのアプローチによる多々ある研究については、よくEBPMやデータ・統計分析手法を用いており、どちらかというと批判的に見てきています。
(参考)「子育て支援は日本を救う」の真意を問う|柴田悠氏2書から読み解く少子化と財政問題 – 結婚家族.com

ただ、今回は、より若手研究者の小論だったことから、何か新しい切り口や視点が提示されるのではという期待を持っていました。
1回目から8回目の小論迄は、その切り口や処理方法に、いずれも物足りなさや論点のズレを感じ、ほとんど批判一色。
最終回の政策に関するまとめに期待したのですが、むしろ、自己批判的に、家族経済学の現状の問題を述べていたのです。
ただ、その自己評価も片手落ちの側面が強く、自身に甘い表現で終わっていました。
自己批判というよりも、家族経済学の難しさの言い訳をしているかのようにも受け取めることにさえなったと感じています。
その理由を、以下、いくつか述べたいと思います。

では、「家族の個人化」で確立されたという新たな家族経済学のフレームワーク
そこでの家計データの利用と統計分析の進展という成果により、家族に関する政策設計や社会保障制度の見直しを促す契機となったと。
この最後にある「社会保障制度」の見直しは、経済学的にも、関連して財政政策面からも非常に大きな問題であり、不可避の課題でもあります。
むしろ経済学ゆえに、絶対に踏み込むべき領域です。
ただ多くの経済学者は、財政規律主義に立ち、受益者負担主義に傾斜します。
これは社会保障専門家も家族社会学者にも概ね共通の姿勢であり、何年たっても堂々巡りが終わらない現実があります。
そろそろ若手の研究者から、目から鱗のような政策が提起されないものか、密かに期待しているのですが。

前項の社会保障制度においても財政・財源問題が不可避の課題ですが、それ以外の家族規模と家族機能の縮小をめぐる諸課題と政策においても財政・財源は、必要条件です。
例えば、選択的夫婦別姓問題や同性婚問題の法制上の改革が必要となったときには、そのための行政システム開発などにコストが発生します。もちろんそれに関する労働コストも、膨大なものになります。
穿った見方をすれば、こうしたコスト発生から逃れたいがためにこれらの政策・制度に反対する、という面がなくもない。経済学的には、部分的にコスパ問題の領域でもあります。

「世帯対象から個人へのシフト」。
家族政策の基本をこのように変える。言うのは簡単ですが、実施・実現となると大きな困難が伴うのは当然です。
家族経済学では、政策・制度設計の前提としての「ターゲティング」が難しい。
その前提でことを始めるには、課題・問題、政策領域の体系化がまず必要です。
簡単に、個別対応、目の前の問題解決に走らないことが絶対条件です。

政治の役割、政党・政治家の役割は、まずそこにあるのです。
そういう固定観念から抜けることができない「人」と「社会」を変える。
経済学にとどまらず、政治学・行政学そして社会学、社会保障学、すべての研究領域において変化と改善を必要としています。
そしてそれらはすべて関連性を持ち、循環性を持っています。
「社会的共通資本」を提唱した宇沢弘文氏は、その中で「専門家」の位置づけを重視しました。
しかし、現実には、そうした専門家は縦割り意識と、縄張り意識が強く、関連する他領域に踏み込んだ深い考察と提言・提案を避け続けてきたと言えます。

文字数、紙数に制約がある小論(法)で、真剣に問題を深掘りすることにはムリがあることは承知で、取り組み始めた本稿シリーズ。
批判ならだれでもできるもの。
自分はどうか?
常に自分自身への問いかけと、続く、実際の行動。
前回の記事でも触れましたが、複数のWEBサイトを総合的に、包摂させ、関連付けて運営し、考察と提案を続けていきたいと思います。






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